教えのやさしい解説

大白法 506号
 
雖脱在現・具騰本種(すいだつざい・げんぐとうほんしゅ)
 「雖脱在現具騰本種」とは、妙楽(みょうらく)大師が天台(てんだい)大師の『法華文句(もんぐ)』を釈した『法華文句記(き)』にある文(もん)で、「脱(だつ)は現(げん)に在(あ)りと雖(いえど)も具(とも)に本種(ほんしゅ)を騰(あ)ぐ」と読みます。
 天台大師の『法華文句』には、四節(しせつ)三益(さんやく)といって、法華経の種(しゅ)・熟(じゅく)・脱(だつ)の三益について四つの節(ふし)(種類)があることを示されています。
 第一は、久遠の昔に下種を受け、さらに中間(ちゅうげん)に仏法に値(あ)い、後(のち)にまた今番(こんばん)の釈尊の化導(けどう)に値って爾前(にぜん)方便の教えを受けながら次第に機が調(ととの)い、法華経の序品(じょほん)の時に雨華瑞(うけずい)・地動瑞(ちどうずい)等の六瑞(ろくずい)を見て解脱(げだつ)する人です。
 第二は、久遠に下種を受け、過去に熟(じゅく)し、久遠の近世(きんせい)に脱の益(やく)を得(え)た地涌(じゆ)の菩薩です。
 第三は、中間の化導を種(しゅ)とし、爾前権経(ごんきょう)を熟とし、法華経を脱とする衆生です。
 第四は、現在の法華経を下種とし、現世を熟、後世(こうせい)を脱とする衆生です。
 「雖脱在現具騰本種」の文は、このうちの第一番目の節を釈(しゃく)した文で、衆生の脱の利益(りやく)は、現に釈尊の化導によって現れているけれども、それは久遠の昔に法華経の下種を受けたことによる、というものです。つまり、種・熟・脱の三益のうち、もとの下種の大事な所以(ゆえん)を述べている文です。
 但(ただ)し、法華経の寿量品において久遠五百塵点劫(じんでんごう)の下種が明かされ、釈尊在世の衆生の得脱が示され、その得脱の相(そう)は分別功徳品に説かれていますが、これは五十二位のうちの初住(しょじゅう)より等覚(とうかく)までの利益であり、現身において成仏する妙覚の利益ではありません。しかし、大聖人は『観心本尊抄』に、
 「一往之(いちおうこれ)を見る時は久種(くしゅ)を以て下種と為(な)し、大通(だいつう)・前四味(ぜんしみ)・迹門(しゃくもん)を熟と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ」(御書 六五六)
と仰せられ、「等妙に登らしむ」とあるように、法華経の教相(きょうそう)で説かれている等覚のみならず、妙覚の利益があることを御教示されています。
 これは、大聖人の文底(もんてい)下種仏法よりこの寿量品の在世の衆生の得脱の相を見たとき、釈尊の寿量品を聞いた在世の衆生は、その内証(ないしょう)において、久遠元初(がんじょ)に下種を受けた妙法の種子(しゅし)に達観(たっかん)して覚知(かくち)し、初住乃至(ないし)等覚までの高い位(くらい)を一転して久遠元初の信の位、名字即(みょうじそく)という仏法の基本の位に立ち還(かえ)って妙法を信受し、妙覚の位に至って即身成仏したのです。これが真(しん)の文上(もんじょう)寿量品の得脱の相です。したがって『秋元御書』に、
 「三世十方(じっぽう)の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種(しゅ)として仏に成り給へり」 (御書 一四四八)
と御教示のように、久遠元初の妙法こそが、妙覚の位に至る即身成仏の本種となるのです。
 以上のように、「雖脱在現」とは釈尊の寿量品によって在世の衆生がすべて得脱したことでありますが、これは一往(いちおう)の義であって、再往(さいおう)は「具騰本種」すなわち、在世の衆生が久遠元初の下種を覚知して成仏したということなのです。
 末法は即(そく)久遠元初であり、久遠元初は即末法ですから、私たち末法の衆生は、御本仏(ごほんぶつ)大聖人の妙法を信受することにより、直(ただ)ちに即身成仏の大利益を得(え)ることができるのです。